長篠の戦い

武田軍と織田・徳川連合軍。
まさに日本の歴史を動かした2つの軍勢が、激しくぶつかりあった地を、その目で確かめてみませんか。
(写真は鳳来町自観光協会制作「ほうらい観光ガイド」より転載させて頂きました)


毎年5月に催される「長篠合戦のぼりまつり」。
戦死した人々の霊を慰めるため、数千本の定紋入りのぼりがひるがえります。

激しい戦いの様を伝える血染めの陣太鼓。

長篠の戦いの文献や遺品アドを保存している「長篠城址史跡保存館」。

徳川・武田が覇権をめぐって戦った長篠の戦い。
天正3年(1575年)5月、一万五千の武田軍が長篠城を包囲。対する長篠城の軍勢はわずかに五百。城主である貞昌は家康に救援を求めるため、鳥居強右衛門勝商に決死の使者を命じました。

必死に勝商は武田の包囲網を突破し、岡崎城の家康、続いて信長に救援を要請。再度長篠へもどろうとしたところを、武田軍にとらえられ、敵兵の槍に散りました。

この忠臣・勝商の死は長篠城兵の志気を高め、織田・徳川連合軍を勝利に導く要因ともなりました。

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